置賜あれこれ 浜田広介
第1話「浜田広介の歴史」
「泣いた赤おに」「りゅうの目の涙」で知られる童話作家 浜田広介は、東北人らしいねばりと誠実な人柄で1000編にも及ぶ童話や童謡を残しています。
日本のアンデルセンと呼ばれた浜田広介は、明治26年(1893)に、現在の高畠町に生まれました。
13歳で、時事新報社発行「少年」に作文を投稿し、優等に入選。
14歳の時には巌谷小波(いわや さざなみ)主筆の「少年世界」の懸賞文に投稿しました。
大正3年(1914)、米沢中学を卒業した広介は、早稲田大学英文学科へ入学します。
学生時代、西洋のおとぎ話を翻訳するアルバイトを通してアンデルセン童話に出会いました。
2年後、大阪朝日新聞の新作お伽噺の懸賞募集に「黄金の稲束」で応募し、一等に入選しました。
選者は巌谷小波で、翌年の朝日新聞に掲載されました。
大正7年(1918) 早稲田大学英文学科を卒業後、コドモ社に入社。編集者となり、退社まで次々と作品を発表しました。
大正10年(1921)、新生社童話集「椋鳥の夢」を発行。自らの作品を「ひろすけ童話」と呼んだことから、おとぎ話は童話と呼ばれるようになりました。
大正12年(1923)、関東大震災以後、文筆生活を決意。
この10年後に代表作「泣いた赤おに」を発表しました。
昭和30年(1955)、日本児童文芸家協会の初代代表理事に、昭和47年(1972)には高畠町名誉町民となりました。その翌年の11月17日に永眠。
浜田広介は、子どものみならず大人の心にも訴える名作童話を残しています。
思いやりや優しさ、いたわりや慈しみに焦点を当てて、わかりやすくリズミカルな文章で作品を書き続けました。
第2話「泣いた赤おに」
浜田広介の代表作「泣いた赤おに」は、日本の近代童話の傑作として広く知られています。
あらすじ
ある山のがけに一軒の家が建っていました。
その家には、たった1人の若い おに が住んでいました。
人間と仲良くなりたいと思っていた赤おには
「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子が、ございます。お茶も沸かして、ございます」という立て札を家の前に立てました。
しかし、鬼は怖いものと思っていた人間は誰一人として来てくれませんでした。
悲しみに暮れていた頃、友達の青おにが訪ねてきます。
事情を聞いた青おにはあることを思いつきました。
それは、自分が人間の村で大暴れしているところに赤おにが助けにくるという内容でした。
赤おには、それでは青おにに申し訳がないと思いましたが、青おにに強引に人間の村へ連れられ作戦を実行しました。
作戦は思い通りに成功し、赤おには人間と仲良くなりました。
願いが叶った赤おにでしたが、親友の青おにがあれから一度も遊びに来ないことが気になり家を訪れます。
青おにの家の戸は固く閉まり、張り紙がありました。
「赤おにくん、人間たちとはどこまでも仲良く真面目に付き合って、楽しく暮らしていってください。ぼくは、しばらくきみにはお目にかかりません。ぼくはこれから旅にでることにしました。ぼくは、いつまでもきみを忘れません。どこかでまた会う日がくるかもしれません。さようなら。どこまでも、きみの友達 青おに」
赤おにはこれを繰り返し読み、涙を流しました。
第3話「りゅうの目の涙」
あらすじ
目がらんらんと光っていて、口は耳まで裂けている。
火のような真っ赤な舌をひらめかせて、うなり声はまるでかみなりのよう。
うっかり近付こうものなら、見つけ次第に呑んでしまう。
りゅうは人々に怖がられ、恐れられ、嫌われていました。
ところが、そのりゅうを怖がらないふしぎな子どもがいました。
逆にりゅうについてあれこれと聞きたがるのです。
「かわいそうだよ。どうして誰も、あのりゅうをかわいがってあげないの。」
とその子は涙を流します。
自分の誕生日にりゅうを招待したいと言い、りゅうを探しに山へ出かけます。
誰からも声をかけられたことのない りゅう は驚き、その子を見つめました。
「ぼくはおまえさんをいじめたりしない。まただれか、いじめようとしたらかばってあげる」
やさしい言葉に心打たれ、りゅうは涙を流しました。
やがて涙は川となり、りゅうは舟のように子どもを背に乗せ、町に向かいました。
りゅうはみんなのために立派な舟となって、子どもをいっぱい乗せてあげようと決意。
本当の舟のような姿になりました。
第4話「むくどりの夢」
高畠町には、福島県との県境に海抜800メートルの鳩峰高原があります。
ここに広介童話「むくどりの夢」の句碑が建っています。
「むくどりの ゆめのかあさん 白い鳥 さめて見る かれ葉の上の 白い雪」
あらすじ
たいそう古い栗の木の大きな穴にむくどりの子が父さんと住んでいました。
母さんは遠くに出かけていると聞かされていたむくどりの子は、毎日母さんの帰りを待っています。
秋が過ぎ、冬が近付いたある夜「カサコソ、カサコソ・・・」と羽の擦れ合うような音が聞こえてきます。
むくどりの子は、母さんが帰ってきたと思いますが結局は風の音でした。
その後も聞こえる風と枯れ葉の音が、母さんの羽音のように聞こえ恋しくて仕方がなくなってしまいます。
むくどりの子は、栗の木に残されたたった一枚の枯れ葉が取れないように枝にしっかりと結びつけました。
その日の夜、むくどりの子は夢を見ました。
白い一羽の鳥がやってくる夢です。
その鳥に向かって、むくどりの子は「おかあさん!」と呼びました。
しかし白い鳥は、やさしい目を向けてどこかへ消えてしまったのです。
翌朝、枯れ葉にはうすく雪が積もっていました。
むくどりの子は、夢に出てきた白い鳥はこの枯れ葉だったのかもしれないと思いました。
第5話「浜田広介記念館」
高畠町一本柳にある浜田広介記念館は、浜田広介のすぐれた作品をいつまでも語り継ごうと建てられ、平成元年に開館しました。
門には「夢のふくらむ館です」という立て札、玄関には大きな赤おに。
門から玄関までのアプローチには、絵やメッセージを書き込んだカラフルな小石がたくさん敷き詰められています。
童話ルームでは、「泣いた赤おに」と「りゅうの目の涙」がマルチスライドで30分ごとに上映。
浜田広介 一筋の道と題するギャラリーには、浜田広介直筆の原稿や遺品が展示されています。
オープンスペースには小さな図書館があり、ひろすけ童話はもちろん、日本や世界の童話、ひろすけ童話賞受賞作品、絵本や紙芝居など、約3000冊を閲覧できます。
館内一番奥にある建物が「ひろすけホール」です。
木目の美しさに加え、音響効果抜群の魅力的なホールです。
外に出てみると、中庭にはひろすけ童話「泣いた赤おに」に登場する、赤おにと青おにの石像があります。
池は竜の目の涙をモチーフにした池のほとりでは、豊かな高畠の自然を満喫することができます。
中庭を抜けると、平成12年に移築、復元された建物が目に入ります。
広介が生まれてから15歳まで育ったこの生家は、江戸時代末期の木造平屋建ての家屋です。
幼い頃、母や祖母から昔話を聞いたという囲炉裏、落書き、書斎を再現した部屋などが展示され、当時の生活を知ることができます。