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置賜あれこれ 南陽ワイン

第1話「南陽ぶどうづくりの始まり」

起源は諸説ありますが、江戸時代初期にぶどう栽培が始まったといわれています。

その頃、日本では金鉱山業が盛んで、南陽市の十分一山にも金鉱脈が発見され、今の山梨県から金掘り職人がこの地にやってきました。

彼らが甲州ぶどうの苗木を持ち込んで植えたのが始まりとされています。

植えた場所は、JR中川駅東側にそびえる小高い山、大洞山の麓だと考えられています。

それ以来、南陽市中川地区はぶどう栽培が盛んになりました。

地名をとって、川樋の葡萄は美味しい葡萄の代名詞として有名になり、南陽市川樋地区は金採掘も始まって大変にぎわったそうです。

ちなみに十分一山という名前の由来は、採掘した金の十分の一を採掘料として納めさせたことに由来しています。

さらに、南陽市は水はけの良い地質、昼夜の寒暖の差が激しいことや、常に風が吹いて熱のこもらない気候がぶどうの栽培に適していたことも理由にあるようです。

明治に入り、十分一山の南側斜面を当時の赤湯町長が町民に開放し、ぶどう栽培を奨励します。

「三段道路」と呼ばれる三本の農道がつくられ、昭和50年代頃までに南陽市の景観を代表する見事なぶどう畑が出来上がりました。

最盛期には、山形県のぶどう収穫量は山梨県に次ぐ全国2位を誇るようになります。

第2話「南陽ワイン造りのはじまり」

日本で本格的にワイン造りが始まったのは明治初期ですが、南陽市では、明治中頃にワイン醸造を開始します。

きっかけを作ったのは、米沢牛を全国に知らしめたチャールズ・ヘンリー・ダラスです。

彼はロンドン生まれで、明治4年に米沢興譲館洋学舎の英語教師として赴任します。

彼が南陽市赤湯地区を訪れた時、「ここには美味しいぶどうがあるのに、牛肉に合うワインはないのか」と嘆いたそうです。

それを聞いた酒井ワイナリーの創業者 酒井弥惣は独学でワインづくりを学び、試行錯誤の結果、明治25年にワイン醸造を開始します。

同じ時期に新潟県上越市には、日本ワインの父と称される川上善兵衛という人が、ぶどう栽培・ワイン造りで活躍しました。

彼は当時の南陽地区のぶどう栽培にも高い関心を持ち、交流をもったという記録が残っています。

大正10年にワイナリーとして創業した須藤ぶどう酒のぶどう畑は、別名「紫金園」と呼ばれていますが、この名前は川上善兵衛がつけたのではないかと言われています。

さらに須藤家には、川上善兵衛が書いたのではないかと思われる紫金園という書が残されています。

南陽市でワイン醸造が始まって今年で127年。

全国でも有数の歴史あるワイン産地になりました。

第3話「太平洋戦争と南陽ワイン」

太平洋戦争が激しくなると、日本は極度の物資不足に陥りました。

お酒などの嗜好品は贅沢品として厳しく取り締まりがあった半面、ワインは政府から奨励され醸造量がのびました。

現在、南陽市には5つのワイナリーがありますが、昭和15年頃は南陽市赤湯地区だけで約60社のワイナリーがあったという記録が残っています。

なぜ戦時中にワイン造りが奨励されたかというと、ワイン醸造の過程で出てくる酒石酸という物質が、潜水艦の音波探知機の材料に使われたためでした。

軍需物資が不足する中、当時の政府は「ブドーは兵器」というスローガンを掲げ、全国的にワイン醸造を奨励したようです。

南陽市のぶどう農家も、酒石酸製造工場としてワイン醸造に励むようになります。

(※酒石酸の現物は、大浦葡萄酒の売店に展示されています。)

酒石酸を除いたワインはとても酸っぱい液体になるそうです。

当時のワイン製造業者の一部は、その残りの液体をワインとして販売したという記録も残っています。

しかし、飛び上がるほど酸っぱいことから、ラビットワインという名前が生まれるとともに、南陽ワインのブランド低下を招くようになりました。

終戦を迎えると酒石酸の需要が一気になくなり、酒石酸工場の廃業が続きます。

第4話「戦後の南陽ワイン」

戦後、南陽市に残ったワイナリー各社は、その後全国大手のワイナリーと手を組み、原料工場として技術向上に取り組んでいきます。

日本ワインが世界から注目されるきっかけとなったのは、メルシャンの桔梗ヶ原メルローというワイン。

このワインが平成元年に国際ワインコンクールで大金賞を受賞し、日本でも本格的なワインが作れることを世界にアピールすることができました。

桔梗ヶ原は長野県塩尻市にある地名ですが、ここでメルローというぶどう品種が栽培されるようになったのは、南陽市がきっかけです。

長野県塩尻市の林五一が、本格的なワインをつくるためにぶどうの品種を探していたところ、寒い気候が似ている南陽市でメルローが元気に育っているのを見て、その枝を持ち帰ったのが始まりだということです。

日本ワインを世界に知らしめたルーツが南陽市にあるということです。

南陽市のワイナリーで作られる白ワインの定番といえば、南陽市を代表するぶどう品種のデラウェアです。

デラウェアといえば種無しの生食用をよく口にしますが、ワイン用デラウェアは種を残すことにより、ワインの複雑な味わいを与えてくれます。

栽培コストの面でも、種ありぶどうは種無しぶどうに比べて手間がかからないことから、ワイン需要が伸びるこれからのの栽培法として注目されています。

第5話「これからの南陽ワイン」

現在の南陽市には、5つのワイナリーがあります。

それぞれに個性があり、作り手の方からお話を聞くとワインがさらに美味しくなります。

最近のワインブームの影響も伴って全国には300社以上のワイナリーがありますが、温泉とワインを一緒に楽しめるのが南陽ワインの魅力の一つです。

赤湯温泉観光センター ゆーなびからころ館の足湯では、ワインをブレンドしたワイン足湯も限定開催で楽しむことができます。

南陽市をはじめ山形県内のあちらこちらでぶどうが栽培されていますが、県内で栽培されている醸造用ぶどうの約4割が県外のワイナリーに出荷されています。

つまり、県外のワイナリーが注目するほどおいしいワイン用ブドウの産地だということです。

今年、南陽市に6社目のワイナリーが誕生します。

このワイナリーの経営者は、他県でワイン醸造に携わる中で山形の美味しいワイン用ぶどうに惹かれ、産地でワインを作りたいという思いがあるそうです。

地元に住んでいると当たり前すぎて気づかないことが、よそから見たら宝物だということがまだまだ眠っているかもしれません。