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置賜あれこれ 高畠石

第1話「高畠石の誕生」

地球が誕生したのが約45億年前。

高畠町の最古の岩石は、鳩峰高原を造っている花崗岩類といわれていて、これが高畠町の東の山並みを形成したと考えられています。

高畠一円が湖になったのは、約200万~500万年前。

海底に誕生した赤湯~高畠層は、海の後退によりゆっくり重なるように曲がりながら隆起。

上和田付近に2km~3kmの円状の陥没地形ができ、屋代川や小黒川は大きな扇状地をつくりました。

約3,500万年前、それまで大部分が陸地であった日本列島に地下の深いところまで大きな断裂ができ、陥没したり盛り上がったりした地域が現れました。

陥没した地域には、海が侵入しはじめ大きな断裂に沿ってマグマが活動し、海底火山となり噴火を繰り返しました。

このように火山の噴火によって噴きあげられた火山灰が堆積してできた岩石が「凝灰岩」であり、古くから「高畠石」として高畠の地を舞台に生活する人々と密接に関わり合ってきたのです。

第2話「暮らしの中の高畠石」

縄文人と凝灰岩

高畠町に残る最も古い生活の跡は「日向洞窟」をはじめとする縄文時代初期の遺跡に見ることができます。

凝灰岩は、縄文時代の遺物や遺構にしばしば使用されていました。

凝灰岩の露頭地帯そのものが縄文人の住居として長い間利用されてきたわけです。

遺構…住居跡や墓、食物の貯蔵穴など。

遺物…人間が生活する上で用いられた道具(水炊きする容器、狩りの道具)など。

また、縄文人が、料理もしくは暖をとるために火を焚いた炉跡の石組も発見されている他、木の実などを割る石皿も凝灰岩を利用している例が多く残っています。

凝灰岩が熱に強く加工しやすいということを実体験で知り、活用したのでしょう。

古墳の石室に使用された凝灰岩

高畠の古墳は、そのほとんどが7世紀末の横穴式住居であることに特徴があります。

とりわけ金原古墳は、県内最大規模の石室を持ち、更に大きな一枚岩を使用しています。

町内にある古墳のほとんどが凝灰岩製の石室を持つことは石材の豊富さを表します。

第3話「石材としての流通」

高畠石は石材として置賜各地に出回りました。

その中で最も古いといわれるのが、南陽市梨郷神社にある正元元年(1259)の板碑であろうといわれています。

この碑は、年紀の明らかなものでは県内最古となっています。

中世から近世にかけて高畠で盛んに造られた石造物の大半が高畠石でした。

現在も、流し台や石臼、門柱など日常生活のあちらこちらに見ることができます。

また、石風呂は実際に使われていたのは戦前までと考えられますが、高畠町が石の産地だということを物語るものの1つといえます。

第4話「高畠石の生産」

高畠町の総面積は、約180㎢で、そのうち57%が山林。山林の60%が凝灰岩で形成されています。

「高畠石」と呼ばれるのは、用途に応じて製品化された凝灰岩の切石のことを指しますが、広くは高畠産の石の総称ともいえましょう。

高畠石の石切丁場名は地域の名称で呼ばれていて、羽山石、瓜割石、高安石、味噌根石、大笹生石など12の丁場がありました。

それぞれの石切場の石室は何を作るのが最適か、石工や石屋、需要者共々対応することができていたようです。

切石の寸法

高畠石の長尺の切り石は「一二八(いちにいはち)」と呼ばれています。

「一二八」とは、幅が一寸二尺、高さが八寸、長さが六寸で、1日1本掘るのが大人一人の仕事量として普通とされていました。

高畠石の用途

・生活関係…石臼・つるべ石・石風呂・石蔵・土台石・石垣・石塀 など

・宗教関係…古墳・板碑・敷石・鳥居・石露盤・狛犬・石神石仏・墓石 など

・土木関係…石橋・旗止石・石段 など

・農業関係…サイロ・石樋・水路壁 など

現在でも資料館や記念館、歴史公園といった公共施設、旧高畠駅舎など多岐にわたり、巨大なものとしては大日如来座像や二井宿の酬恩碑などが有名です。

第5話「現存する主な施設・石像」

旧高畠駅舎

大正11年、糠野目~高畠間に開通した民営の鉄道は、地元の有力者が株主となり沿線の豊かな農産物の輸送や旅客を目的に建設されました。

大正13年に二井宿まで線路が伸びると、木材や木炭、乳製品の輸送も大きな柱となりました。

戦後は、ベビーブームで誕生した団塊の世代が高校通学に利用するようになり、通学者、通勤者で大混乱するようになるのです。

昭和9年、高畠石での石造り、一部鉄筋コンクリート造りの丈夫な駅舎が再建されました。

現在もほぼ原形のまま残っていて、石の町・高畠のシンボルとなっています。

平成28年、国の有形文化財に登録され、今後の観光にも期待されています。

龍寿院・大日如来石像

昭和縁結び通り商店街沿いに巨大なわらじが立てかけてある天台宗龍寿院。

大わらじの陰にどっしりとした石造りの大仏、大日如来が鎮座しています。

高畠町内には、湯殿山碑が多数建立されていることから、湯殿山への信仰が篤かったのでしょう。

こうした風潮の中で、高安地区から産出された凝灰岩を使い、高さ4.5mの大日如来像を刻み、鎌倉時代末期に現在の地に祀られたと推定されています。

長さ約4.5m、重さ100kg以上。

毎年1月上旬の日曜日にさらしを巻いた若連が担いで地区内を練り歩く「大日如来わらじみこしまつり」は、冬の風物詩として有名です。